3月16日好天に恵まれた日曜日、ゆるゆる遠州ガイドライド2014のEコースに参加してきました
昨年は、土曜日がロングライド(120kmと70km参加したのは70kmコース)で、日曜日がガイド
ライドということでしたが、今年は2日間ともガイドライドということで、少人数の参加者にガイド&
サポートが充実した態勢で、しっかりと知識も詰め込んで帰ってきました
A~Gまでのコースのうち、選択したEコースは、「茶畑と棚田と世界農業遺産を巡る自転車旅」と
いうことで、菊川市中心のコースとなります。
集合は、7時30分に掛川市役所。
Eコース参加者は9名で、横浜や京都からの参加者もあり、京都からの方は、なんと73歳
朝はウインドブレーカー着用でスタートしました。
まず、最初のポイントは国の重要文化財である応声教院(おうしょうきょういん)。
浄土宗の寺院だそうです。
次のポイントは菊川「赤レンガ倉庫」
建物由来 菊川赤レンガ倉庫保存会資料から
明治22年に東海道線堀ノ内駅(現在の菊川駅)ができました榛原郡地頭方(現在の牧之原市)出身の
原崎源作氏、池新田(現在の御前崎市)出身の丸尾文六氏らが明治24年にこの地に「富士製茶工場」
を興し、この付近一帯にお茶の再製工場を造りました。明治30年頃まで横浜には「お茶場」と呼ばれた
外国商館による茶再製工場が沢山ありましたここでの作業は女子工員が焙炉の中のお茶を素手で混
ぜるという大変過酷な作業でした
これを見た原崎源作氏がなんとか労働を楽にしなければと原崎式再製茶機を発明しました。
これが成功し、おおいに労働が楽になり、又品質の良い製茶を作ることが出来るようになりました。
それとともにこの地菊川は、お茶の季節になると、近隣から集められた荒茶を再製し貨車に積んで
清水港からアメリカへ輸出していました。その成績がすこぶる良好であり、茶産業はもとよりブリキ加工業
や木箱造りの箱屋等の茶関連の商工業者、その他が集来し広く菊川市の賑わいの基となりましたこの
レンガ倉庫は当時、お茶のブレンド作業と倉庫として使われていたようです。いわば菊川市の発展の
ルーツであり、「お茶の菊川」「お茶の静岡」を象徴する唯一残った産業歴史建築物です
赤レンガ倉庫の概要
構造はレンガのみで構成されています。柱型、臥梁、窓廻りの意匠までレンガを使用しています。
又基礎の部分は高温で焼成された焼きすぎレンガが使用されていますレンガの大きさは現在の大きさと
違い大きめにできています積み方は 明治20年以降に造られたものはイギリス積みが多いようです。
この建物もイギリス積みです。
内部は木造階構造となっており、梁をレンガ積みの中に差し込んで、梁、2階床を構成しています。小屋組
はレンガ積みの臥梁の頂部に敷桁を敷き小屋梁を乗せ、キングポストトラスを構成しています。
現代アートの個展開催中でした。
つづく。。。